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忘れられないできごと

きょうは私の体験談です

 

阪神淡路大震災から25年
ΩΩΩ 阪神淡路大震災から25年

Yahoo!ニュース参照

あれから25年…阪神淡路大震災

きょう1/17、25年前のきょう、阪神淡路大震災がおきました
私は当時神戸につながる大阪のりんかい線近くに住んでいました
私、生まれは神戸で、10歳くらいの頃も神戸に住んでいて、
自分のルーツでもあるんです

 

私そのとき大阪にいました

その日は起きていてレコード回してて
いきなりマンションが45°くらい傾いた感じ、
パソコンのモニターが倒れてきて手で支えました
あとで知ったんですが大阪で震度5強

ヤバい、避難だと思ってまず手にとったのが、DATウォークマン(笑)
冷静なつもりが気が動転していたんでしょうね

外に出てみるとシーンとしていて…古い平屋の家のガラスは全部割れていました

 

その日の夜には影響が…

その日の夕方、コンビニには一切食べものがない状態、
それから日を追うごとに路上駐車の数が増えてて…
被災した人たちが車で避難してきて行き場もなくそこで寝泊まりするようになっていました

バブルが弾けたあとに、あの震災…不安を通り越して、絶望感が漂ってました
私は初詣で大凶を引き、帰りに正面衝突しそうになりました!これは関係ないか…(笑)

 

周りの人たちもたくさん被災しました

神戸の先輩のショップは全壊、

お世話になっていたウェットスーツブランドも仕入先が被災したことによって閉業、

後輩のお父さんのビルは傾き、地下に浸水、
全壊ではないので保険がおりず壊すこともなおすこともできない、

親友の結婚パーティを頼まれていたんですが、周りに被災した人たちがたくさんいて
とてもおめでとう的なイベントをできる状態ではなく中止に…

と、私の周りのたくさんのひとが直接的、間接的に被災しました
大阪の職人さんたちは神戸での仕事が多くなり、ミナミの街もひっそりしていました

 

道路がすべてうねっていた

数年たって主要道路が通行できるようになって、
神戸のかたからターンテーブルを買ったんです
それを車で取りに行ったんですが
主要道路はとりあえず走れる状態でしたが、幹線道路はまだまだ、
ほぼ全てがうねってて…電柱も全部傾いてました

いまもそのターンテーブル現役で使っています。そいつも被災してアームが少し曲がってます

 

サーフィンは?

そのころサーフィンは四国がだめで、阪神高速が倒れて通行止め、もちろん淡路もだめ、
四国に行けても帰ってこれるの?といった状態が続きました
伊勢か和歌山がほとんどになりました
そのころは私も選手生活をリタイヤした頃で、心の癒やしを求めて海に行っていた感じでしたね

多くのサーファーはそのころ海、サーフィンから元気、希望、勇気をもらっていたと思います

 

いま復活した神戸はすごい!

神戸には機会があれば訪れています。自分のルーツですから。
あんな壊滅したすごい状態から復旧、復興していったパワーが街にあふれていて
以前にも増して素晴らしい活気のある街になりました

私はこの地震でいろんな教訓をえました
私達はこのような震災にあう可能性があるところに住んでいるということ
だからやりたいと思うことは後回しにせずすぐやったほうがいいということ
人の思い、気持ちが集まるとすごいパワーになるということ

いまでもこの教訓のもと生きています

 

もう25年たったけど、忘れられない、忘れてはいけないこと…
今年もまた黙祷を捧げさせていただきます

 

 

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