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私の音楽遍歴とサーフィン

R.I.P. Yukihiro Takahashi

音楽のはじまりはdisco?

先日、高橋幸宏氏の訃報がありました。
YMOことYellow Magic Orchestraのドラマーでした。
私の音楽遍歴で外すことができないグループがこのYMOです。

子供のころから親父の車ではDiscoのカセットテープが流れていて、
愛のコリーダとか聴かされてはいましたが、まだまだピンとはきてなかった小学校4年のある日、
菊池くんという同級生が「すごい音楽があるから家にこない?」と誘われました。

そこで聴かされたのがYMOのRydeenとTechnopolisでした。
これ機械で音楽作ってるんだってと教えてもらったのを覚えてます。

いまでは当たり前のことですが、当時ではあまったく理解できない話しでした。
菊池くんどうしてるかなあ…?

初めて買ったレコードがなぜか細野晴臣?

その後大阪へ引っ越しし、近所のレコード屋さんで自分のお金で買ったはじめてのレコードが、
なぜか同じグループの細野晴臣氏のアルバム?
ただよくわかってなかっただけ…YMOの細野晴臣だけはあたってました。(笑)

うちはいつもオーディオセットがある家で、
レコードも聴けたし、カセットテープに録音もできました。
このあとこの録音がさらに音楽にのめり込むことになるきっかけになりました。

機材に興味を持ちはじめたのは録音から

また引っ越しし中学生になり、レンタルレコード店があちこちにできはじめました。
FMファンだったかな?そんな名前の雑誌のヒットチャートに出てくる名前のレコードをレンタル、
ジャンルもよくわかってなかったのでいろんな音楽を聴いては、
好きな曲だけをピックアップして自分のオリジナルテープをつくっていました。
これはいまのWATERS Music CDで続いていますね。

また友だちに頼まれて、まだダブルデッキもなかったので、
デッキを2台接続し当時でいうダビングを1回100円でしてあげたり…(笑)
ノーマルテープよりクローム、メタルのほうが音いいよね?とか話してたなあ。

中学卒業の日にディスコに潜入!

中学を卒業する頃はdiscoに強い憧れをもっていて、
卒業式の日の夜に男女同伴じゃなくても入れるディスコに友達とこっそり潜入に成功!
なにもかもがキラキラしてた記憶があります。

そういえばKaja Goo Gooのコンサートもいったかなあ…
ライブハウスにもいったけどうるさすぎて何がなんだかわからなかった記憶が…

同時に機材にも興味を持ってて、なぜdiscoの曲が途切れないのか?
独学で同じテンポでビートをひろえばいいのでは?と、
2台のカセットデッキでタイミングをあわせて友達とよろこんでたのを思い出します。

このころは映画の影響もありブレイクダンスが大流行!
ラジカセ持って公園で踊ったりしてたなあ…恥

人生初の就職はじつは18歳と嘘をついてのディスコだったというのは、
もう時効ですよね?(笑)

サーフィンを本気ではじめたのもこの頃で、
はじめてしばらくはサーフィンばかりで音楽は一時停止でした。
手持ちのカセットをウォークマンで聴き続けてましたね。

私がいたショップではコンテストに出るのが当たり前?そんな時代だったのですが、
静岡にきてからいい成績を残せるようになり、サポートしてもらえるようになったんです。
なので静岡にいながら大阪支部所属で、伊勢の試合に遠征していました。
このころは音楽に浸かるなんてゆとりはなかったなあ…サーフィンだけの生活でした。

サーファーのあいだでもナイトクラブがブームに

車の免許をとってからかな?ナイトクラブがブームになり、
サーファーのあいだでも街のクラブで夜遊びして、寝ずでそのまま海へ行ったりしてました。

このころもいろんなジャンルの音楽を聴いてましたね。
ハウス、テクノ、レゲエ、ほぼ洋楽でした。

でもまだまだサーフィンばかりでコンテストはもちろん、毎年海外へサーフィン修行。
このころの音楽はFMからだったなあ…海外ではマライヤキャリー、Boys2Men、
日本ではなぜか邦楽を聴いてみたりもしてたなあ…詩がわかるってすごいことです。(笑)

HOUSE Musicと出逢う

サーフィンの恩師の影響でハウスミュージックに出逢い、傾倒していきました。
またそれがきっかけで東京と大阪の真ん中の静岡にいる私が、
東京のサーファー&ハウスミュージックの繋がりができたりして…。

それぞれ同じジャンルでも独自のカルチャーがあるので、
私はそのミックスなのかもしれません。(笑)

閉店後のレストランが夜中だけナイトクラブになったり、
看板もないのでコネがないと入るどころかそこへ行くことさえもできない、
真っ暗な中で最高の音楽、音質、雰囲気、機会があればクラブにいました。

憧れのクラブで初めてプレイしたのもこの頃。
それからPartyをオーガナイズしたり、呼んでもらってプレイしたり…
いまでは私のパーティで遊んでいた人が、有名なオーガナイザーだったりします。

このころは本当に音楽とサーフィンによっていろんな事が起きていて、
サーフィン中心の生活で、そこに音楽でも多くの出会いがあったりと、
私の人生でも特に濃密な時間でした。

いまサーファーの私が作るWATERS Music CDにいろんなジャンルの曲が入っているのは、
こんな人生+音楽遍歴から、それを聴いた人の人生になにかしらのいい影響があればうれしいです。

いいものはいい!

半世紀近い音楽経験からいわせてもらうと、「いいものはいい!」です。
いい音楽は、時代、ジャンルに関係なく、いいんです。

いまではすっかり音楽の環境がよくなり、
子供のころ聴いたタイトルがわからない曲のレコードをいまでもずっと探しています。
それを見つけてレコードを手にしたときの喜びは、
ストリーミング時代のいまの若い人たちにこの喜びは伝わらないかもしれませんね。

そんな私の音楽のルーツであるYMOのドラマーがなくなったというのは、私的に衝撃でした…
心よりご冥福をお祈りさせていただきます。

でも彼の音楽は永久に不滅です。
私がYMOのなかでも好きなムービーを貼っておきます。よかったらどうぞ!↓

彼らが海外で先に評価され、日本に凱旋デビュー、逆輸入されたきっかけになったイベントです。
私は日本製が好きなのは、これがきっかけなのかもしれません?

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